イラストとデッサンについて。
イラスト・漫画の画力向上方法として、
「デッサンや美術解剖学は、やってもいいがそこまでやる必要もない」という意見もちらほら聞く。
これに関してはあまり同意できない。
イラスト初心者が、なぜ絵を描かなくなるのか。
「描き方がわからない」
9割の人がこれに当てはまるのではないかと思う。
「手の描き方がわからない」
「右向きの顔の描き方がわからない」
「二人並んでいる絵の描き方がわからない」
「俯瞰・あおりの描き方がわからない」
「影の付け方がわからない」
結局、正解を知らないまま描こうとするからいけない。
ごく稀に見たものすべてをそっくりそのまま描ける天才というのもいるが、
これも正解を知っているからできること。
イラストにおける正解を考えるのはなかなかに難しい話ではあるが、
「流行を取り入れつつ説得力のある絵」が正解に近いと考えている。
極端な話、

「これは女の子のイラストです。僕なりにデフォルメしました。」
と言われて納得できる人がどれだけいるか。
抽象画ならいいかもしれないけど、これはただのぐちゃぐちゃな線だ。
では、これならどうだろうか。

先ほどのぐちゃぐちゃよりは人っぽいかも。
何故か。
目、鼻、口、髪の毛のようなものがあって
首、胴体、脚のようなものがあるため、説得力が少しだけ増したからだ。
でもこの絵が上手いとは思えない。
その理由はパーツの構造や比率などがめちゃくちゃだから。
現実世界ではこんな人間いない。
細かな部分の説得力を増やしていく必要がある。
単純接触効果
「単純接触効果」という言葉を聞いたことがあるだろうか。
はじめのうちは興味がなかったものも何度も見たり、聞いたりすると、次第によい感情が起こるようになってくる、という効果。たとえば、よく会う人や、何度も聞いている音楽は、好きになっていく。これは、見たり聞いたりすることで作られる潜在記憶が、印象評価に誤って帰属されるという、知覚的流暢性誤帰属説(misattribution of perceptual fluency)で説明されている。また、潜在学習や概念形成といったはたらきもかかわっているとされる。
図形や、漢字、衣服、味やにおいなど、いろいろなものに対して起こる。広告の効果も、単純接触効果によるところが大きい。CMでの露出が多いほど単純接触効果が起きて、よい商品だと思ったり欲しくなったりするのである。
出典:wikipedia
人間というものは、ずっと見てきたもの、触れてきたものに対して「良い」という感情を覚える。
全人類(クソデカ主語)、一番よく見てきたものが現実世界。
現実世界にそっくりなものを良いと感じる。
これが説得力の正体だ。
イラストや漫画も、各々よく見てきた絵柄なんかがそれに当たる。
だがしかし、絵というものは多かれ少なかれデフォルメが施されている。
パーツの簡略化、記号化である。
現実世界はあまりに複雑すぎて、描くのも、見て何が描かれているか読み解くのも大変だからだ。
「これがこう描かれていたらこういう意味だよ。」
「顔の横に(6 と描かれていたらそれは耳だよ。」
という共通認識。
手塚治虫や藤子不二雄の時代(ウォルト・ディズニーとかもっと前からあるかも)から慣れ親しんできた、そして改良に改良を重ねられたデフォルメが、今日良いとされている流行の絵柄。
記号化と言っても、それぞれのパーツには元となった形というものがある。
「なるほど、耳のデフォルメは数字に置き換えればいいんだな。」
などといった勝手な解釈をしてしまうと、説得力のある絵柄からは乖離してしまう。

これは影の付け方やハイライトにも言えることで、
元になった形を知らないままデフォルメだけを知ってしまうと、どこかで食い違いが発生してしまう。
そこで大切なのがデッサンと美術解剖学。
リアルな形を頭の中に叩き込み、
それをベースに流行の絵柄がどのようにデフォルメされているのかを見る。

先に述べた通り、イラストだけ見て解釈しようとすると、
「顎の先端が反っているけど、そういう手癖なのかな?」
「もしかしたら描いているときにブレちゃってこうなったのかも」
となってしまう。
これもデッサンと美術解剖学を学んでいれば、
「確かに顎はこうなっているな、オトガイ隆起を表現しているんだな。」
とリアルとデフォルメを紐づけることができる。
デッサン、美術解剖学と、流行の絵柄の模写練習をそれぞれやることで、拾える情報量が圧倒的に増える。
絵柄の流行が変わったとしても
「なるほど、今はこの部分をこうデフォルメするのが流行りなんだな。」
と順応できる。
また、独りよがりで絵を描き続けていると、「単純接触効果」によって自分の絵が変な絵柄になっているのにも関わらず良い絵と錯覚してしまう。
これもデッサンや模写などでリセットすることができる。
「流行を取り入れつつ説得力のある絵」を描くことが目的であれば、デッサンというのは遠回りなようで近道なのかもしれない。